連載『学校へ戻りたい』 (1)

学校でみんなと一緒に過ごしたいと願う子どもたちがいる。それを 難病が阻む。入院・治療がすめば、すぐに学校に帰れると信じてい ても、困難なときもある。「学校とのつながり」とは何なのか。病 気と闘っている子どもたちとともに考えた。(増井 哲夫)

先生や友達の励ましが支え

大阪大学医学部付属病院(大阪府吹田市)の六階の小児科病棟の窓 からは、万博公園の緑の木々と、ジェットコースターや観覧車が動 く遊園地が一望できる。「早く学校に戻って、友達に会いたい」。 小学三年生たくま君(8)は瞳を輝かせている。

同じ階にある院内学級で学んでいる。似たような境遇の約二十人の 小中学生と一緒に、机やイスを並べ、授業を受けている。

まだ半年ほどしか小学校生活を送っていない一昨年末、筋肉の腫瘍 が見つかった。少し早い夕暮れの病室。手術の麻酔から覚めた子に 母・真美さん(42)が告げた。「家にはしばらく帰られへんねん」

「友達に会われへん」。たくま君は泣きじゃくった。クリスマスイ ブだった。

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院内学級は病院近くの養護学校などの分級である。通うには「学 籍」を移さなければならない。しかし、真美さんは“転校”を伝え なかった。友達や先生の手紙が元気のもと。学校に戻りたいという 気持ちがエネルギーになっていると思われたからだ。

ところが、二年に進級すると、手紙は途切れがち。先生の面会も遠 のいた。同じ病室の中学生には週一回、同級生の手紙などを持った 担任の先生の姿があった。「何で僕には来ないの?」

やがて夏休み。副作用で自分の病気の重さに気づき始めたたくま君 がぽつりともらした。

「僕はもう忘れられてるんやろな」

「僕は忘れられている・・・・」母動く

その言葉が、真美さんの脳裏をずっと離れなかった。入退院を繰り 返し、今年三月、病状が悪化して改めて入院することになり、いて もたってもいられなくなった。「何かを分かってもらわないと」。 気がつけば、終業式後の職員室に集まった二十数人の先生らの視線 を一身に浴びながら口を開いていた。

「あの子は薬だけでは治りません。学校で友達と一緒に遊びたいと 願う気持ちが必要です。だから、先生方に引っ張ってほしいんで す」。たくま君が感じたいろんな思いを一気に話した。

真美さんが職員室から出た後、教頭が先生方に呼びかけた。「何が できるか考えましょう」。みんながうなずいた。涙ぐむ教師もい た。

病室には一日おきに、担任が手書きした専用の<通信>が届く。お 返しに病院での生活を書いた壁新聞を送った。学校から病院まで二 時間以上かかる。担任は合間を縫って面会に訪れる。「教室で通信 を作ってたら、みんなが『今度は僕にも書かせてよ』だってさ」。 日に日にたくま君の笑顔が増えていく。

三年生になった四月、真美さんは院内学級に「籍」を移した。いっ たん退院できた昨年九月に小学校へ戻した後、長引きそうだった今 回の再入院では、移籍をためらっていた。あれほど悩んだ学籍の所 在だったが、以前の不安は消えていた。

全国で昨年、約六万人の子どもたちが病気で長期欠席を余儀なくさ れている(文部科学省調べ)。「戻れる場所がある。変な言い方か もしれませんが、安心して病気と闘えるんです」。黒板の上には同 級生に交じってたくま君の似顔絵が笑っている。(文中仮名)


読売新聞 2004年6月25日付
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