連載『学校へ戻りたい』 (3)

六月上旬の夕暮れ、京都市内の小学校の体育館から、高校一年生の 遼君(15)と母・美紀さん(44)は、だれもいなくなった運動場を眺め ていた。遼君はこの学校の卒業生。急に訪ねたくなったという。

会話が途切れた後、「もう一度、小学校からやり直したいな」。懐 かしそうなつぶやきがもれた。

小学校四年で脳に腫瘍が見つかった。それから六年、快癒を願い入 退院を繰り返した。いつ尽きるとも分からない“命の灯”と向き合 いながら。

キンコーンカンコーン。ゆっくりとチャイムが響いた。「これを十 二回聞いていたんだよ」と遼君がほほ笑む。元気なときは一日六時 限の始めと終わりに耳にした。美紀さんは、涙で目前の光景がにじ んだ。「残された時間、そばに一人でも二人でも友達が寄り添って いてもらえたら」

「友達とともに」闘病の助けに

小学校の卒業式は病室だったので、中学の入学式にはなんとか出 た。欠席がちだったが、担任が数か月に一度、同級生を集めて、自 宅のパーティーに来てくれたりもした。学校に行けば、薬の副作用 による脱毛を隠すためのバンダナをとられるなど冷やかしが嫌だっ たが、友達でいたいと接した。

しかし、一昨年五月に二年生で出かけた林間学校の食堂で、みんな から避けられているのに気づいた。肩を落としながら席を外すの を、同行していた美紀さんは見た。

そして、昨年一月に大阪大学医学部付属病院(大阪府吹田市)に入 院。病状の重さに「医療に任せた方がいい」と判断した学校が、遼 君にとって遠くになってしまった。

四月に退院したが、すぐには復学できず、「準備期間」として京都 の養護学校の訪問教育を受けることにした。十月の学習発表会で 「世界に一つだけの花」をピアノで弾いた。拍手の温かさに、帰り の車中で「みんなすごくやさしい」うれしそうに話をしていた。

遼君はすでに治療の後遺症で間近のことが記憶できなくなってい る。嫌な思いや寂しさは消えて、かつての友達との楽しい思い出だ けが結晶のように残る。それが「切なくてならない」と美紀さんは 言う。

思い届かず−母が手紙

今春の卒業式は元の学校で迎えさせたかったが、学校からの連絡は なかった。難病と闘う子どもの気持ちをわかってほしくて、美紀さ んは中学の先生全員に手紙を送った。「子ども達にとって生きてい る実感を得るのに学校生活が不可欠であるということを認識しなけ ればならない」とした「がんの子供を守る会」(東京)が示した教 育支援の指針を添えて、こうつづった。

「入院生活も友達と中学校に通いたいという思いが支え続けまし た。社会や教育が少しでもやさしくなってくださることを心から願 っております」。母親の叫びだった。(文中仮名)


読売新聞 2004年6月29日付
*この記事を無断で転載することを禁止します。