連載『学校へ戻りたい』 (4)

「命の瀬戸際で病気と闘っている子どもたちが、学校へ帰るのに、 こんなにつらい思いをしているなんて」

京都市内の看護学校非常勤講師の高橋康子さんは、長期入院した子 どもたちが退院後、どのように学校生活を送っているかの実態調査 を始めた。医療と教育をつなぐ支援の必要性を感じたからだ。きっ かけは医師の夫に聞いた中学三年生の芳恵さん(15)(仮名)の話だ った。

医療と教育現場つなぐ支援必要

三か月にわたる脳腫瘍の入院治療を終えた芳恵さんが一昨年十二 月、大阪府内の中学校に復帰した。当時は一年生。教室の自分の机 に文字が彫られていたのに気づいた。

『死ぬ』

打ちひしがれるように泣く娘の話を聞いた母・雅子さん(43)(仮 名)は学校に問い合わせた。担任は事実を認めたが、詳細はわから ないと弁明した。文字はすぐに刃物で削り取られていた。

すぐに冬休みになったこともあって、雅子さんは翌年一月、校長に 面会した。娘の闘病生活を説明したところ、校長は「初めて聞く」 内容に驚いた。手術明けの体の様子や後遺症なども伝え、娘の学校 生活への心配りを訴えた。

すぐに緊急集会が開かれた。「命にかかわることなので一人一人が ちゃんと考えてほしい」。校長が、生徒に芳恵さんの事情を伝えた 上で、「荷物を代わりに持ってもらったり、授業途中で休んだりす ること」への理解を促し、担任にも細かく指示した。しかし、傷つ いた芳恵さんの心は置き去りにされた。

芳恵さんの発症は三歳のころ。小学校からいじめや無理解が待ち受 けていた。それでも頑張れたのは、入院中に知り合った子どもたち の存在。自分よりもっと重い病状なのに、「芳恵ちゃん大変やけ ど、私も頑張るから」と励ましてくれたからだった。

しかし、耐えられる限界が来た。「仲良くしてくれても、いじめに あったら声を上げてくれないなんて」。寝る間際になると、そんな 不安をもらすようになった。

まもなく親子で転校を決心。「逃げたんじゃない」。気丈な言葉が 痛々しかったが、七月に転校した先の中学校では、病気を理解して くれる友達に囲まれ、少しずつ心の傷を乗り越えようといている。

復学阻む病気への無理解

今年初め、直接、雅子さんから詳しい事情を聞いた高橋さんは「一 人二人の問題ではない」と感じた。

夫の病院で治療している子どもの母親を中心に聞き取りを始める と、自立した日常生活ができるのに復学が難しくなっているケース もあった。

担任によって病気の理解度で対応がまちまちだったり、何より、病 気の子供を抱える母親が孤立してしまっていたりしていた。

うまくいったケースでは、親と学校の間を仲立ちする人がいた。病 気の説明などで、医師が介入した方が効果的だった。▽学校へ戻る 際の先導役▽親自身への支え▽子どもの退院後の追跡援助など、支 援のための枠組みがつくれないか模索している。

学校でみんなと一緒に過ごしたい。ささやかな願いがかなえられる ように、病と闘う子どもたちの周りで、少しずつ動きが始まってい る。(おわり)


読売新聞 2004年6月30日付
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