連載『学校へ戻りたい それから』

学校へ戻りたい それから(中)

東 慧(あずま さとし)君が、脳腫瘍という難病と六年間立ち向かい、十五歳で亡くなる一週間前の七月三日、京都市の自宅に近いマンションの一室で、小さなコンサートが開かれた。プロのシンガー・ソングライター佐々木清次さん(40)がギターを抱え、慧君が最もお気に入りの歌『負けてたまるか』を一緒に熱唱した。

両親が「慧と慧を支えてくれた人たちにとって最後の思い出に」と計画。病気の進行が早く、当初の予定を一か月繰り上げた。同じように難病と闘う子どもたちも参加し、ドラム演奏する子もいた。

また、二週間前に白血病で子どもを失った母親、一か月前に母親を亡くした兄弟、ずっと以前に事故で息子を逝かせた高齢の夫婦など、約百平方メートルの部屋は、いろんな人の思いがあふれていた。

「負けてたまるか」 あふれる思い熱唱

佐々木さんは六年前、行きつけの美容院で、買ってもらったばかりのギターをうれしそうに弾いている慧君に声をかけた。
「何が好きなん?」
「キンキキッズ」

ギターを借りて、『硝子の少年』を弾き語りすると、うらやましそうなまなざしで見つめ返し、「ギターを教えてほしい」と懇願した。当時はレッスンできなかったが、「ここで会うか、家に行ったりした時に教えてあげるわ。友達としてな」と約束した。

二十時間にわたる手術を受けて間もないころだったが、小さいころからピアノを習っていた慧君は、上達が早く、後に記憶障害が出始めても、一度覚えたコードは忘れなかった。三か月に一度の佐々木さんのライブにはいつも来て、ともに歌うこともあった。

今年六月、慧君の姿がなかった。病状を悟った佐々木さんは、舞台から病と向き合う少年のことをファンに紹介し、「みんなでメッセージを下さい」と自身のホームページへの書き込みを呼びかけた。ライブ終了後、数え切れないほどの励ましが届いた。

プロ歌手も闘病の仲間も「歌に使命」最後のライブ

佐々木さんには忘れられない光景がある。二00二年十二月に京都市で開いたデビュー十周年ライブのアンコール。「慧君おるかー」と客席に声をかけると、花束を持った慧君が、ステージ上にはい上がってきた。

どんなに具合が悪くても、佐々木さんが行くと、ベッドから起き上がり必死でギターを抱える姿がだぶった。握力はほとんどなくなっていたが、亡くなる二週間前までギターを抱えて、必死に練習したGコードをしっかりと押さえた。

『負けてたまるか』は、佐々木さんが上京中の九年前、レコード会社から契約を打ち切られ、絶望の中でのたうち回って作った曲だった。「いつの間にか、この歌に使命を与えてもらった。死にそうになりながらも、一生懸命に生きている。そんな子どもたちに聞かせたい」

♪絶対負けてたまるか
この体で受けとめて
何度でも立ち上がるから
・・・夢まであと少し♪
負けてたまるか

佐々木さん(左)と一緒に「負けてたまるか」を歌う慧君(中)。
「力強く生きた姿を忘れない」と佐々木さんは誓う。
(7月3日、京都市内で)


読売新聞 2004年11月3日付 (写真のみ記事掲載時のものと異なります)
*この記事を無断で転載することを禁止します。